
志賀直哉「暗夜行路」の新たな草稿、我孫子市の民家で発見!市に寄贈され10月展示へ
2025/6/18
小説の神様、志賀直哉の代表作で唯一の長編小説「暗夜行路」の新たな草稿が我孫子市内の民家から見つかり、市に寄贈されました。市によると、今回見つかった草稿は、『志賀直哉全集』に納められていない、貴重な資料だということです。

我孫子市内の個人宅から、今回、新たに発見された、志賀直哉の小説『暗夜行路』の草稿(小説の下書き)は、縦約20センチ×横約15センチの市販のノート49ページに渡り、鉛筆を使って手書きで書かれ、何度も推敲した様子が伺える貴重なものです。
主人公が妻や友人と花札で遊んだ際に、妻がずるをして勝ったのではないかと疑う場面などが生々しく描写されている。小説では、主人公”時任謙作”の名前は、ノートに記された草稿では、「順吉」となっている。
主人公が妻や友人と花札で遊んだ際に、妻がずるをして勝ったのではないかと疑う場面などが生々しく描写されている。小説では、主人公”時任謙作”の名前は、ノートに記された草稿では、「順吉」となっている。

『暗夜行路』は志賀直哉唯一の長編小説として知られています。
志賀は我孫子に住む以前の大正元(1912)年頃から執筆にとりかかり、試行錯誤を繰り返し、大正10(1921)年に『暗夜行路』前篇を発表しました。その過程で、多くの草稿が作られましたが、ほとんどが日本近代文学館に納められ、『志賀直哉全集』(岩波書店刊)に掲載されています。今回、見つかった草稿は、『暗夜行路』後篇の内容の一部と一致するものでした。
志賀は我孫子に住む以前の大正元(1912)年頃から執筆にとりかかり、試行錯誤を繰り返し、大正10(1921)年に『暗夜行路』前篇を発表しました。その過程で、多くの草稿が作られましたが、ほとんどが日本近代文学館に納められ、『志賀直哉全集』(岩波書店刊)に掲載されています。今回、見つかった草稿は、『暗夜行路』後篇の内容の一部と一致するものでした。

新たに見つかったノートには当時の心境や手紙の下書き、家の間取り図なども書かれており、我孫子に住む直前の大正4年夏頃までに執筆されたものと考えられます。大正12(1923)年に我孫子を去るにあたって、交流のあった市内在住の小熊太郎吉氏に譲られたとみられ、地域と志賀の交流がうかがえます。

◎志賀直哉(しがなおや)
明治16(1883)年2月20日-昭和46(1971)年10月21日。
学習院の同窓生により創刊された雑誌『白樺』の中心人物。大正4(1915)年~12(1923)年に我孫子に在住。現在その住まい跡は「志賀直哉邸跡」として整備され、『暗夜行路』を執筆した書斎(我孫子市指定文化財)が残る。
◎『暗夜行路』(あんやこうろ)
雑誌『改造』の、大正10(1921)年1月号~8月号で前篇、大正11(1922)年1月号~昭和12(1937)年4月号で後篇が発表された長編小説。25年の歳月を要し、完結。
明治16(1883)年2月20日-昭和46(1971)年10月21日。
学習院の同窓生により創刊された雑誌『白樺』の中心人物。大正4(1915)年~12(1923)年に我孫子に在住。現在その住まい跡は「志賀直哉邸跡」として整備され、『暗夜行路』を執筆した書斎(我孫子市指定文化財)が残る。
◎『暗夜行路』(あんやこうろ)
雑誌『改造』の、大正10(1921)年1月号~8月号で前篇、大正11(1922)年1月号~昭和12(1937)年4月号で後篇が発表された長編小説。25年の歳月を要し、完結。


市では今年10月から、市制55周年記念事業として、今回新たに見つかった草稿を白樺文学館で展示することにしています。