イダセイコ、超レアケースで挑む「メジャーデビュー」
この夏、イダセイコ、
なにげなく、さらっと、
アラフォーにて2度めの
「メジャーデビュー」
今回のデビューはちょっと変わっているみたい?!イダセイコの「今」を綴ります。
エッ?ていうか、誰?
きっとそれが素直な感想である。という方が多いことでしょう。
よく知っています。自覚あります。はい。
その感想が当たり前、だから大丈夫。安心してください(笑)
出典:IdaSeiko - イダセイコ【Official WebSite】
出典:イダセイコ - Wikipedia
世間一般でいう「メジャーデビュー」とは:
「日本レコード協会」に入会している大手レコード会社と契約して作品をリリースすること。
今日は、イダセイコの超レアケース:事務所なし個人契約で夢を掴んだ「メジャーデビュー」とイダセイコの「今」について、いたってイダ目線で綴ってみたいと思います。
【はじめてのメジャーデビュー】
実はイダセイコは2006年。
その昔、思い出すのもだいぶ遠い記憶で「メジャーデビュー」したことがあります。
2006年とは・・・いったい自分が何歳だったのか?思い出せなくてググってみたら、27歳(汗)そういえばその時にすでに「遅咲きのデビュー」なんて言われていたような、あはははは(笑)
その頃の私といえば、
誰よりも早く抜け出たいと願い続けて、やっと掴んだ夢のチケット。
華がないとか、見た目が地味だとか(同じか?)・・・・いろいろと言われたりしていましたが、
そんなことは全然、遠くで鳴いてる蝉の声?全然気にしてませんでした。
なんでかって?
だって、デビューして、CDが全国に並んでしまって、来週にはMステに出てると本気で思ってました(笑)
その先は、事務所がレコード会社が仕事を運んできてくれて、音楽を奏でて、制作をして、全国ツアーをして、
・・・・・・・・・・・書ききれないくらいの夢の数々。夢は尽きないものです。ひとつ叶えれば、次の夢がみえてくる。
今ですら、そんな持論を振りかざす私は、当時も若くもなかったけれど(笑)、音楽とバイトばっかりをして、
夢とカップラーメンばかり食べていたわけで、「メジャーデビュー」という出来事をきっかけに、
TVでよく見る売れっ子のアーティストの生活が待っているだろうと信じて止まなかったのです。
そして現実はというと、夢がなかったわけじゃなかったし、チャンスがなかったわけでもなく、
ただただ、私の度量が足りず、人としても足りず(今も?)、たくさんたくさん大事なところで失敗しました。
周りにいる関係者の期待にも全然応えらず、がっかりさせていただろうと(泣)それでも辛抱強くサポートしてくれていた方たちに今も助けてもらったりしているわけですが。
売れませんでした。だから今、誰?ってことなのです。
私の苦労話は山ほどあるのですが、いつか暴露本を出すつもりですのでその時に(笑)
【メジャーデビューという再出発】
紆余曲折、いろいろあって、ふるさと千葉に戻ったのが3年前。
海を見たり、星空を見たりしながら、少しづつ「うたう心」を取り戻し、
県内ショッピングモールや地域のお祭、道の駅、レストラン、
色んな所で一人でも多くの人に出会いたいと歌ってきました。
そんな中でステキな出会いやご縁があって、イダセイコの音楽は私だけのものではなくて、
みんな夢に形を変えていきました。
「あなたの心に残る名曲を時代に残す」
という、目標を胸に猪突猛進してきました。
CDが売れない時代と、音楽業界の弱音ばかりを聞く昨今。
あきらめないのは自分の夢だけじゃなくて、音楽がこの世の中に必要とされているよね?という確信。そして、感動の対価としていただく音楽のギャランティの意義。
指一本で、欲しい音楽がすぐそばに、どこにいても手に入る時代。
便利になりました。
月額料金で、ありとあらゆる音楽が聴けるなんて素敵なことです。
ただ、音楽の世界もデジタル化が進み、アーティストやミュージシャンの生き辛い時代になったんでは?という側面もあります。
流通の方法や、ライブの方法なども多様化してきました。
「メジャー」か?「インディーズ」か?なんて話は、
ライブ会場やアフターライブなんかではよく議論される内容です。
大体のアーティストはよっぽど売れていなければ「インディーズ」で活動した方がアーティスト本人の生活は潤うといわれています。
ましてや、私のような個人事務所というには軟弱な、体一貫アーティスト(いいキャッチフレーズかも?笑)にとっての「メジャーデビュー」は過酷な旅路。
業界の先輩たちやレコーディングにかかわった誰もが「デビューおめでとう」といったすぐ後に、
「メジャーにこだわる理由があるのか?」と叱咤激励とは遠くないとは思いますが、
まぁ鋭い刀でグッサリと、コトの真髄を突かれてしまうものです。
答えに詰まった時点で、負けている。
そう思いました。
詰まってしまったんですよ、私。
なので、答えを探しました。結構、必死に。
今思うのです。
いわば古巣のレコード会社にお願いして、人生最後のチャンスをもらいました。
そもそも、私の2017年の目標は「ヒット曲は自分の力で創りだす!!!」でした。
タイアップや大きな仕掛けはありません。
ただただ、歌える場所で歌って、そこにいる人に訴えて、一枚一枚CDを届けていく「メジャーデビュー」。
とにかく3000枚売ります!!(1年以内、できるだけ早く!)
そのためのチャンスや企画は自分で生み出す!!仕掛け人は自分自身!!!
助けてくれる人や出会った方の知恵はしっかり吸収しつつ、
「いつか恩返ししますから!!!」という想いを羽根にして。
誰のせいでもなく、自分の責任で選択して自分で自分をプロデュースする!!
私はそんな「メジャーデビュー」を選びました。
売り上げはCDショップに。日銭はギャラのみです。
ギャラないことが多いです。うふ。
どうしようか?と思っていますが、何とかします。
どんな困難もなんのその、乗り越えようといきむのは、
その先の未来に夢を共有したい、恩人がたくさんいるから。
その人達に「ありがとう」を伝えたいから。
そして、もっともっといい音楽を届けるライブをしたいから。
どんな有名な人も、その前は普通の人だったはず。
ゴルフクラブ、パターの有名ブランド。
スコッティキャメロンも今では高価なハイブランドですが、
独立した当時のキャメロンさんは、
「ルイ・ヴィトンやロレックス・メルセデスのようなパターを作るんだ」
と、言っていたそうです。
時々、今の自分がベースになってしまうことがあります。
足元ばっかり見えてきて、地に足つけすぎて、
自分がどこへ向かっていたのかわからなくなってしまうときがあります。
少なくとも、今の私と同じように個人契約で「メジャーデビュー」した人にあったことが無い。
噂話を聞いたことが無い。
先人の通った足跡もない、
一寸先も見えない道に踏み出すような未来。
それはゼロか?360度か?無限大か?
これから私はどうなるでしょうか?自分でもわからないんですけど、
足元ばかりを見るんではなくて、もっともっとひらけた千葉の青い空みたいに、
大きくて自由で、たくさんの人と共有できる未来をいつも心に描いていたいと今、思っています。
ちょっとレアな「メジャーデビュー」を選んだ一人の歌い手の日々。
これからも綴っていきたいと思います。
一緒にどうか、
今、半信半疑に見ているアナタも、
「いけるいける〜!!!!」と一緒にこの先の未来を夢みてみたいというアナタも、
今後のイダセイコの動向を一緒に楽しんでもらえたらいいなと思います。
たった一度の人生、思いっきりやるだけやって燃え尽きたい所存です。
そんなこんなで、2017年8月2日「うたたねうた」、
なによりも確かな私の生きた軌跡、産み落としました。
そして明日もうたいます♪
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千葉県は九十九里白子町出身の千葉っ子シンガーソングライター。
この夏、待望のミニアルバム「うたたねうた」でメジャーデビュー。
現在も千葉県在住で千葉県中心に精力的に活動中。
とくに大好きな千葉の海や風、花や緑、青い空やきらめく星空を歌っています。
そんな音楽とイダセイコの日々を綴ります。
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