2008年7月8日、日本ハム戦(マリン)で勝ち越しの14号3ランを放ち福浦(9)に迎えられる大松

 いつもと違う登場曲が流れた。福浦和也内野手はかわいがっていた後輩との別れを惜しみながら打席に立った。10月4日のイーグルス戦(マリン)。福浦は2日前に来季の戦力構想から外れマリーンズ退団が決まった大松尚逸内野手が今まで使用をしていた登場曲に変更して試合に挑んでいた。もう、この登場曲がマリンで響くことはなくなった。だから、背番号「9」は自身の登場曲からこの日だけ、この曲に変更をした。後輩への思いが詰まった心使いだった。

 「直接は見ることができませんでしたが後日、そういうことがあったと、他の選手や知り合いが教えてくれました。福浦さんからも言われました。『オマエの曲、使わせてもらったよ』って。ジーンときました。ボクはもうマリンであの曲と一緒に打席に向かうことはできない。そんなボクの気持ちをくんで、一緒に打席に向かってくれたのだと思います。本当にうれしかったです」

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 同じ左打者の福浦に憧れ、参考にしながら、ここまでプレーをしてきた。あれは、プロ2年目が終わった2006年のオフ。なかなか思い通りの結果が出ずに苦しむ大松は意を決した。11月に行われた球団納会で大先輩のいる席に足を運んだ。ビールを注ぎながら、お願いをした。「一緒に練習をさせていただけませんか。自主トレ、連れて行ってもらえませんか!」。その言葉には強い決意が感じられた。だから、福浦も二つ返事で承諾をした。「ありがとうございます!」。断られることも覚悟の上だっただけに、あの日のことは一生、忘れる事ができない。それほどうれしかった。練習では、すべての動きを注視した。アドバイスを聞き漏らさないようにしようと公私ともに、いつも近くにいた。そして、その後も師弟関係はずっと続いた。08年、大松はついに開花する。24本塁打、91打点。チャンスに強い打撃で「満塁男」と言われるまでになった。その年から3年連続の2桁本塁打をマーク。福浦もそんな後輩が活躍する姿を自分のことのように喜び、共にさらなる練習に明け暮れた。しかし、そんな日々に別れの日は突然、訪れた。

 「オレより先に辞めるなよ」。ここ数年、出場機会が減り苦しむ大松に、福浦はいつもそう言って励まし続けてくれた。だから、戦力構想から外れた時に一番に電話をしないといけないと思った。だが、それは、あまりにもつらい連絡だった。「こんな嫌な報告で申し訳ありません」。そう言って謝ると涙がこぼれ落ちそうになった。今後の道に悩む大松を、電話口の向こうにいる師匠は優しく励ましてくれた。

 「オマエの今の気持ちに正直に生きろよ。まだできるという思いがあるなら、その気持ちを大事にしろ。やるのはオマエ。今の気持ちを大切にしてくれ」
 その言葉に励まされ、新たな世界への挑戦を決めた。5月に右アキレス腱を断裂し、9月になって、ようやくリハビリを終えたばかり。しかし、そんな逆境はどこ吹く風とばかりに、力強く走り出した。打球は鋭い弾道で外野フェンスを越えていく。背番号「10」の代名詞だった大きな弧を描く綺麗なアーチはすっかり元に戻っていた。

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 「打撃の状態は100%。足も順調です。今は足首の負担を軽くするため、股関節やお尻を使ってしっかりと走る方法にも取り組んでいます」

 今は練習に明け暮れる毎日。その手には確かな手応えが宿る。プロ入りから、これまで憧れ、目標にし、教えを受けた大先輩のエールに応えるためにも、このままで終わるわけにはいかない。

 「今の目標はどんな形でもいいので元気にユニホームを着て打席に立つ姿をこれまで応援をしていただいたファンの皆さまにお見せすること。登場曲が流れる中で打席に向かって、支えてくれた皆さまのために打ちたい」

 大松はあの日、大先輩が行動で示した無言のエールをしっかりと受け止めていた。あえて登場曲を自らのものから変更して伝えたかった「頑張れよ」の思いは確かにその胸の奥深くに届いていた。だから、いつも満員の観客が埋まる球場の中、打席に入る自分の姿をイメージしながら打撃練習を続ける。もう一度、あの舞台に戻る。今の大松には強い決意と自信がみなぎっている。戦いの日々はまだ終わらない。

 (千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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