石切でギザギザになったの?

寛文四年裁許状絵図 寛文4年(1664年)=「図録 房州石」より

千葉県の富津市金谷と安房郡鋸南町の境にある山「鋸山」の名は、鋸の歯のようにギザギザとした山の形状に由来するそうですが、いつから鋸山と呼ばれているのか、資料などを紹介します。

インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」には、こう書かれています。

“良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた(石切場跡は現在も残存する)。結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになった。”

江戸時代以降、鋸山と呼ばれるようになったとする説が展開されていますが、石切によって露出している山肌は、ギザギザの鋸の歯というより、どう見ても絶壁です。

石切によってできた絶壁で、通称「ラピュタの壁」=鋸山(富津市)

富津市金谷で昭和60年まで石材店を営んだ石切職人を父親にもつ鈴木裕士さんによると、石の切り出しが盛んに行われた江戸時代末期よりも以前から、鋸山と呼ばれていたことが資料から分かっているのだそうです。

室町時代には「鋸山」と呼ばれていた

ギザギザとした形状の鋸山=富津市(JR浜金谷駅から撮影)

金谷石のまちシンポジウム実行委員会が2009年に発行した冊子「房州石の歴史を探る 第1号」には、当時、千葉県立天羽高等学校教諭の高梨さんが“いつの頃から「鋸山」の名称で呼ばれるようになったのかはよくわかっていない。廻国雑記抄(1486)によれば「・・・鋸山といへる山あり・・・」という”と鋸山の由来について書いています。

廻国雑記抄が書かれた1486年は室町時代。本格的な石の切出しが行われるずっと以前から、鋸山と呼ばれていたことが分かります。

また鈴木さん宅には、1664年の文書が残されており、描かれた鋸山の絵図の中に「のこぎ里山」と記載がされています。

鈴木さんによると、この絵図は当時、上総国の金谷村と安房国の本名村と保田村の人たちが国境論で揉めたため、奉行所が境界を確定し、双方に配布した文書なのだそうです。

この絵図からも、現在のような絶壁になる前から、鋸山と呼ばれていたことが明白なわけです。

当時は、稜線がギザギザとして、鋸のように見えたのかもしれません。

上総山とも呼ばれた?

房州石の歴史を探る 第1号では江戸時代の俳人小林一茶の句にもふれ、1803年に一茶が現在の富津市金谷を訪れた際、「我上にふりし時雨や上総山」と、鋸山を上総山と詠んだようだとあります。

字数を考え、句にのみ使ったのでしょうか?

1817年には「初空の行留り也上総山」、1819年には「木がらしや行抜路次の上総山」の句も詠んでいるそうです。


出典:
「房州石の歴史を探る 第1号」 石のまちシンポジウム実行委員会編集・発行 2009年
「図録 房州石」 金谷ストーンコミュニティ編集・発行 2013年

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