鎌倉時代の歴史が色濃く残る東金市松之郷地区

 千葉県東金市の旧公平(こうへい)村と呼ばれるエリアは、神社やお寺などに北条氏にまつわる様々なエピソードが残されていてます。なかでも松之郷(まつのごう)という地区は、現在の県立東金商業高校のある場所に北条久時の久我城があったことで知られています。
 そこからほど近い場所に同夢山願成就寺はあります。
「願いが成就する寺」という、実にめでたい名前なのですが、どうもその由縁が諸説あってはっきりしませんでした。知る人ぞ知る地元郷土史の大著「松之郷区誌・資料編」(平成8年)では、創建は弘安3年(1280)北条久時としていて、これが各所に発信されているようです。
 その根拠として、江戸中期に願成就寺から本寺の東金本漸寺に移管された喚鐘(高さ約56㎝)がその物証といわれていて、胴体に久時の名前が刻銘されているのだそうです。これにより、願成就寺境内に祀られている「三介の塔」こと三基の五輪塔(写真・市指定文化財)も北条「長時-久時-守時」の三代の墓碑もしくは供養塔であるとされています。

 この地元の歴史書ともいえる「松之郷区誌」によれば、「創建当時の願成就寺の規模については史料に乏しく定かではないが言い伝えによると現在の道庭地区まで境内だったという」とあり、また「『上総国誌』の著者が「其ノ巨刹タル想フベシ」と書いているように北条氏全盛のころは当然にそれに数倍する堂塔伽藍が広大な寺域随所に配されていたはずで・・」と続き、当時の願成就寺がいまとは比較にならないくらい大きな寺院であったことが推察されています。

寺のルーツを聞き込み調査

 現在の宗派は15世紀酒井氏の命によって改宗したものの流れですが、その前の宗旨については曹洞宗・臨済宗・真言宗と諸説あってつまびらかでないと記されていて、なかでも臨済宗である可能性が高いと書かれていました。
 「松之郷区誌」が編纂されてから20年あまり経って、この謎多き古刹のルーツが現住職や檀家の方々による聞き込み調査によって解明されつつあります。調査はまず、北条時政の創建による伊豆の願成就院にはじまり、続いて長時が創建したとされる鎌倉の浄光明寺と手がかりのあるところから聞き込みしました。そして奈良の西大寺まで至って話がつながったのです。西大寺の和尚さまが福岡大学の桃崎祐輔教授の論文のコピーを送ってくださり、鎌倉にある真言律宗 極楽寺との深いつながりが明らかとなったのです。

 奈良県の西大寺はかつて壮大な伽藍を誇っていましたが、平安京ができて都が京に遷ると見る影もなく衰退していきました。鎌倉時代になって叡尊(えいそん)という僧侶が現れ、荒れ寺だった西大寺を拠点として再び律宗を復興する運動を興したといわれています。鎌倉にある極楽寺(真言律宗)の開山は、叡尊の弟子であり日蓮聖人との祈雨対決で有名な良観房忍性(にんしょう)によると言われています。叡尊のもとで勉学に励んだ忍性は、建長四年(1252)関東に下向し、常陸の三村山寺を中心に精力的な布教活動を行っていました。東国布教活動の拠点となった三村山は筑波山南麓のまぼろしの大寺「三村山極楽寺跡遺跡群」として歴史のロマンをいまに伝えています。そして1267年に鎌倉に創建された極楽寺の初代の長老になったといわれています。
 時代は流れて鎌倉極楽寺では、良観房忍性菩薩700年御遠忌の記念行事として、現住職父子が文書として残る記述をあつめた「極楽律寺史」(平成15年)をまとめあげました。西大寺や金沢文庫はじめ各地の寺院の協力を得て編纂されたこの本は、極楽寺の中世の記述を項目・時系列で掲載しています。その中に西大寺の叡尊が亡くなった1290年の記述に『西大寺興正菩薩御入滅之記』というものがあり、そこに問題の寺の名前が書かれていたのです。
(写真は鎌倉市指定文化財 良観房忍性座像)

鎌倉極楽寺との深い関係が明らかに

 興正菩薩(叡尊の諡号)が亡くなった翌日、鎌倉の極楽寺にいた良観(=忍性)は飛脚より知らせを受け、悲嘆にくれる間もなく仏事に必要な用意にかかりました。さらに東国各地の律宗布教の拠点にいる叡尊の弟子たちの名前が続きます。常州清涼寺(三村山極楽寺)長老頼玄、相州浄福寺慈照、駿州霊山寺成真と並んで「総州願成寺長老栄真(えいしん)」という人物の名があります。
 鎌倉極楽寺では、最近までこの「総州願成寺」がいったいどこにあるのか、そもそも現存するのかさえ不明だったのだそうです。今回の調査で、鎌倉極楽寺の現住職や桃崎先生にも直接お話しを伺い「総州願成寺」と「願成就寺」が同一であることがほぼ確実になりました。先の桃崎教授は、鎌倉から常陸三村山極楽寺に律宗が広まる過程で房総半島にも広く律院がつくられていたはずで、その拠点となったのが「総州願成寺」であっただろうと考えていました。考古学に明るい桃崎教授の調査は、願成就寺の裏山に転がっている瓦と三村山極楽寺遺跡群から出土する瓦が類似する点からも、それがかなり本格的な寺院であったと結論づけています。
 当時の「総州願成寺長老」の栄真は、こののち忍性の後を継いで極楽寺の二代目長老に就任しています。史料を紐解いていくと、栄真は当時東国に広がる夥しい西大寺流の律院の中でも第四位の地位にあったことが覗えるとのことで、そのような高僧がいたとは現在のお寺の規模からはなかなか想像できません。

地域、宗派を超えた交流も

 これほどまで明確なつながりが、なぜ寺に伝えられてこなかったのか。栄真は1302年まで総州願成寺に止住し、鎌倉へ移住したとみられています。1333年当地は足利氏の支配下になり、やがて願成寺は臨済禅寺に改められ、更に曹洞宗に転じたのち法華宗化しました。
 桃崎教授は、房総半島の律宗寺院は、忍性と日蓮の確執の結果、その多くが日蓮の後継者たちの折伏の標的となり以前の沿革が抹消されて実体不明のものが少なくないと論じています。そうした中で中世以前の歴史が現代につながってくること自体が、由緒ある寺であったことの証明ともいえるでしょう。
 いまはお寺もホームページやSNSで情報発信する時代になったというのも大きいです。住職と檀家の調査によって郷土の歴史の一ページを紐解くことができました。それと同時に宗派を超えた交流もはじまりました。小学校などでも校外学習で鎌倉を訪れることもあるので、願成就寺では郷土史に興味を持ってもらえる良い機会だとたいへん喜んでいます。近い将来、鎌倉の極楽律寺の住職も東金願成就寺を訪れたいと言われており、その際に桃崎教授も招いて新しく判った史実について檀家はじめ地域の人たちとお寺で勉強会を開こうかと盛りあがりを見せています。

総州 同夢山 願成就寺
千葉県東金市松之郷480-1
0475-55-2756

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新春祈願 1月1日 13時
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     1月3日 10時・13時

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