2日の広島戦で4回に本塁打を放ち、ベースを回る井上=ZOZOマリン

 あれは忘れもしない、よく晴れた日だった。大学4年生だった若者は野球部のリーグ戦が終わり、つかの間のオフに入っていた。だから友人とプロ野球を見に行くことにした。広島から一人、上京し都内の大学に進学した若者は時折、無性に故郷の匂いを感じるために広島カープの応援に行きたくなることがあった。だからこの日もレフトスタンドに座った。2011年6月12日の千葉ロッテマリーンズ対広島カープ戦(現ZOZOマリンスタジアム)のことだ。井上晴哉内野手はその試合のある場面を今でも鮮明に覚えている。マリーンズの選手が放った打球はグングンと伸びて来て、自分が座っている目の前に落ちた。当時、ルーキーだった伊志嶺翔大外野手が放った1号本塁打だった。

 「ハッキリと覚えていますね。まさか今、こうして伊志嶺さんと同じチームに入って、自分が広島戦で試合に出ているとはあの時は思いもしませんでした」

 1歳年上の伊志嶺とは大学日本代表でチームメートとしてプレーをしていた。だから身近な人が放った一発は強烈な印象を残した。それは大学からのプロ入りを諦め、社会人野球へと進むことを決めた矢先の出来事だった。

 「あの時はちょうど自分の実力でプロに挑戦をする自信がなくて諦めかけていた時だった。身近な人のホームランを目にして、諦めずに社会人野球で頑張ってプロを目指そうという気持ちになった。すごく前向きな気持ちになれたのです」

 井上は大きな放物線を描き、飛んできたその打球を鮮明に覚えている。時間が止まったようにゆっくりと、そして力強くグイグイと自分の下にボールは飛んできた。よく知る先輩からの激励のメッセージが打球に込められているのだと真剣に思えた。勇気をもらい、夢と希望が膨らんだ。だから社会人野球でガムシャラに頑張れた。そしてプロへの扉は開かれた。

    □     ■     □

 ただプロ入り後はなかなか結果が出ない日々を送った。1年目には開幕4番に座るも結果を残すことが出来なかった。オープン戦から春先にかけては結果を残すことからいつしか「春男」と呼ばれた。毎年、交流戦が始まる前に2軍落ちした。地元の広島カープとのゲームに出場したことはなかった。今年は違った。開幕から井口資仁監督は信頼し使い続けた。5月に入り状態を落とした時、指揮官は「ロングティーをしてみたらどうかな?」とアドバイスをくれた。しっかりと振り込むことが持ち味の男はかくして自分を取り戻した。そして2日の広島戦(ZOZOマリンスタジアム)。初めてカープとの試合でスタメン出場を果たした。子供の時は2週間に1度は必ず広島市民球場に応援に行っていたほどのファン。今は愛着のようなものはないが特別な相手だった。

 「絶対に勝ちたかった。子供の時の憧れのチームだけど、だからこそ絶対に勝ちたい相手。そしてこの時期に自分が1軍にいることもなかった。いつも悔しい想いをしていた。今までの悔しさをぶつけて、絶対に打ってやろうと思っていた」

 待っていた直球をフルスイングすると必死に走った。手ごたえはあったがフェンスを越える確信が持てなかったからだ。想いは通じた。打球はスタンドへと消えていった。大歓声が湧き起こった。5月19日以来の本塁打は感慨深いものとなった。翌3日も2点ビハインドの六回2死三塁から中前適時打を放ち、その後のマリーンズの大逆転劇へと繋げた。

    □     ■     □

 ベンチで背番号「44」の気迫を目にした指揮官も「彼も悔しい想いをしている。ただ、まだまだこんなものではない」とねぎらった。そんな男がカープとの3連戦を終え、頭によぎらせたのはやはりあの日、スタンドで見たホームランだった。その時、井上は客席にいた。そして勇気をもらい、大きなキッカケとなり今はグラウンドに立っている。立場が夢や希望を提供しなくてはいけない側へと転換したことを再認識すると武者震いを感じた。

 今季はここまでシーズン51試合を終えた。井上は49試合に出場し31打点を挙げている。思い出深いカープとシーズンで相まみえることは今年もう、ない。それは忘れられない日々となった。この3連戦で原点回帰することができた。そして確かな手応えをつかんだ。まだまだ戦いは続く。様々な思いを胸に毎日を必死に生きる日々を繰り返す。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

関連リンク

関連するキーワード

千葉ロッテマリーンズ チャンネル

「千葉ロッテマリーンズ」の公式チャンネルです。マリーンズ広報担当が最新情報をお届けします。

ランキング

人気のある記事ランキング